1万語しか生涯で話すことのできないこどもたち:ことばの幕間劇場1

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ことばを手繰る詩人がいた。

人生で1万語しか喋ることが出来ないのだとしたら、誰のためにそれを遣うか。どういう時にそれを遣うか。
そして、どこでそれを遣うか、どのように遣うのか。

詩人は謳い上げる。
きっとその世界において、子供を育てるということは本当の意味で自分の命をささげる行為なのだろうと。

赤子は、周りのおとなたちの言葉を聞き、学び、咀嚼して自らのことばとしていく。
世界で発せられる無数の言葉を、赤子は手繰り寄せ自分の血肉としていくのだ。
1万語しか話すことのできない世界で、子供を育てるという事は自分が、父親や母親から幼いころに受け継いだことばを継承する儀式に等しいのだろう。
ひとつひとつの言葉を、慎重に選びそして赤子へ話しかける。赤子はやがて、大人に成長し恋をする。
恋をしたとしても、愛を伝える言葉を延々と語るわけにもいかない。だから、きっと慎重に時に大胆に場所や時を選ぶ。そして、珠玉の言葉を選んで、愛を告げる。

そうして幸せのなかで結ばれた2人の間に、やがて赤子が授かり、父祖から継いできた大切な言葉を我が子へ慈しみをもって再び話しかけるのだ。

詩人は謳い上げる。
あるいはその世界において、教師をするということは本当の意味で聖職者にも等しい行為なのかもしれないと。

無言の教室。カリカリと音を立てる筆記用具、誰かのくしゃみの音。空調設備の乾いた音。その世界において、学校はとても静かなところなのかもしれない。人の声らしきものが聞こえてきたとしても響くのは、GoogleやAmazon,AppleといったIT企業の作り出した人工AIの合成音声。

けれど、本当にだいじな科目を教えるというときには、教師は声を出さなければならない。アンドロイドや人工AIが教壇に立つのではなく、生身の人間がそこに立つ意味として。

彼は、あるいは彼女は目の前に立つ社会に羽ばたいていく生徒たちにことばの大切さを、口に出して教えなければならない。それが、結果的に自分自身の命を縮めるのに等しい行為なのだとしても。

だから、きっとの世界で教師は尊敬されるのだ。誰かのために、自分自身の信じるものの為に、ペンは剣よりも強しということを体現するのだから。

詩人は謳い上げる。
その世界において、詩人や歌い手という存在は、あるいは存在しないのかもしれないと。

その世界ではことばを皆が大切にし、慈しみ、誰かにかける言葉も、誰かに贈る言葉も、すべての言葉は誰かから受け継いで、誰かへと受け渡すものだから。

そこでは誰しもが、詩人であるし、誰しもが歌い手なのかもしれない。あるいは、もしその世界で詩人や歌い手が存在するのだとしたら、新しい言葉を創り出すことをしているひとなのかもしれない。
誰かから受け継いで、誰かへと贈っていく言葉たち。その中に、新しい喜びや、表現できていなかった悲しみや、どうしようもない怒りを増やしていく。

かつて、暗闇は誰しもが恐れる理解できない存在だったけれど、ことばがそれにカタチを与えた。
その結果、暗闇はよくわからないどうしようもないものから、ただそこにある存在に変わったのだ。
だから、その世界で詩人や歌い手の仕事はカタチのない透明なものへ、ことばを贈ることなのだ。

誰もが、誰かのためにことばを贈り合い、そして遣う事を許された1万文字で最後の数文字の言葉を自分の中に遺して、最後の時を迎えるのだろう。

その時に、残していく言葉はなんだろうか。ありがとうだろうか、それとも愛しているだろうか。
それとも元気でねだろうか。

1万文字の言葉しか許されない世界で生きる人は、その最後の言葉をずっと胸に秘めて生きるのだろう。最後の時を誰と、どこで、どういう風に迎えるのか。

そういう思いと共に、胸の奥底に別れのことばを秘めるのだ。

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